かなたの雑感記録(転職•不妊治療を経て一児の母になりました)

長時間労働と訣別するために転職。6年間の不妊治療を経て一児の母になったアラサー女子の雑観記録。

人生の最期を迎えるとき、どんな状況でありたいか

今回のテーマは、人生の最期を迎えるとき、どんな状況でありたいか、について。

 

今年の1月に、子供の頃から私をとても可愛がってくれていた

父方の伯母を亡くしました。62歳でした。

 

父方の祖父母は健在で、既に80代後半。

 

まさか、その娘である伯母がこんなに早く他界するとは

夢にも思っていなかったので、ショックが大きかったです。

 

伯母は、20代のころに保育士をしており子供好きで

弟の娘である私や姉を、本当に可愛がって大切にしてくれていました。

 

とても美人でおしゃれで優しくて、父より年上とは思えないほど

常に若々しく、自慢の存在でした。

 

そんな伯母は、なぜか生涯未婚を貫いていました。

 

亡くなる直前に、伯母からこんな話を聞きました。

若い頃、婚約をしたので保育士を辞めたが

祖母のせいで破談になってしまった、保育士を続けていたら

もっと良い人生だったのかな…というような後悔の滲む想いを吐露していました。

 

お葬式の後に、母にそのことについて質問したところ

詳しくは分からないが、確かに、結納まで済ませた相手がいたが

相手の親と祖母との間で何かもめ事があり、

破談になってしまったことがあったとのこと。

その後、伯母は結婚願望がなくなってしまったように見えたそう。

 

伯母は祖母との折り合いが悪く、亡くなる直前には

実の母であるはずの、祖母に会いたくないとしきりに主張していました。

 

母娘の関係に限らず、家族の中にわだかまりがあるというのは

とても辛いことだと思います。

血の繋がった存在を否定するのは、自分の一部を否定するようなものだと思うからです。

 

そんな伯母は、亡くなる直前に、お葬式のことも心配していました。

昨年、伯母の叔父にあたる方が亡くなったときの家族の対応がとても冷たかったそうで

そういう見送られ方をされたくないという気持ちがあったようでした。

 

冷たい対応というのは、亡くなった日の晩に、線香番をするでもなく

亡くなった方を葬儀場に残したまま、家族みんなでさっさと家に帰ってしまった

というものでした。

 

その話を私は聞いていたので、伯母がなくなった日の晩は

亡くなった場所である病院から自宅まで連れて帰って来て

祖父や父、母と一緒に順番に線香番をしました。

 

また、亡くなった翌日、通夜の日の晩は、葬儀場の宿泊施設で

亡くなった伯母の棺の横で、私の父、母、私とで川の字になって寝ました。

隣の部屋には姉夫婦とその子供たちも一緒で、伯母が火葬される

前日の晩は、家族みんなで温かく伯母を見守りながら

過ごすことができたと思っています。

 

伯母は生涯未婚だったので、子供もおらず、自分の老後や亡くなった後の事を

とても心配している様子でしたが、伯母の優しい人柄によって

私たち弟家族からは、とても慕われていたので、みんなで伯母をしっかり見送ろうと

一致団結してよいお葬式ができたと思います。

 

伯母は、私たち家族から慕われていたから、このような最期を迎えられましたが

果たして私の人生の最期は、いったい誰が見守ってくれるのだろう?と

少し不安な気持ちになりました。

 

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私は結婚していますが、夫婦二人きりなので、

旦那が先に他界したら、私は伯母と同じように一人きりになってしまいます。

 

そんなときに、私が伯母を慕っていたのと同じくらい

私の甥姪が私を慕ってお葬式をあげてくれるかと想像すると

同じようにはならない気がしました。

 

今回の温かいお葬式は、あくまで、伯母の人柄によって実現したものであって

一般的な、甥姪と伯父、伯母の関係は、もっとドライな場合が多いと思います。

 

そこまで考えた後に、じゃあ私は、

人生の最期を迎えるとき、どんな状況でありたいか?という問いが

心の中に生まれました。

 

今は、生活の90%以上を仕事に捧げて

妊活もままらならない状況だけれど、本当にこんな生活を続けていて

よいのだろうか?という疑問が心にこびりついて離れなくなりました。

 

年末、伯母が亡くなる前に、

休日もなかなか疲れが取れないことが多いとお互いに言い合って

働きすぎだねと、労り合いながら、

来年は仕事を辞めて、もっと自分を大切にしようと

二人で後押しし合っていました。

 

そうしたこともあって、年明けから23時ごろまでの

残業続きの日々を悶々とした気持ちで過ごしていたら

結局、適応障害と診断されるに至ってしまいました。

 

仕事のストレスもありましたが、

このままではいけない、という気持ちが募って

自ら苦しくなってしまっていたのかもしれません。

 

ただ、仕事を休んだ今は、少しずつ元気になってきました。

明日は、伯母の四十九日です。

しっかりお経を読んで、供養をしてきたいと思います。