かなたの雑感記録(転職•不妊治療を経て一児の母になりました)

長時間労働と訣別するために転職。6年間の不妊治療を経て一児の母になったアラサー女子の雑観記録。

人が出す「気配」について

今回のテーマは故人についてです。

こんにちは。かなたです。

 

お盆ということで

実家に帰省していました。

 

病気のことも

休職のことも

両親には伏せていましたが

特に詮索されることもなく

カミングアウトすることもなく

滞在を終えました。

 

そして…

今年の1月に

伯母を亡くしたので

いわゆる初盆でした。

 

私にとっては

今回の伯母のお通夜、お葬式が

人生初の身内の死を実感する経験でした。

 

(祖母のときは海外旅行中で

ほかの祖父母は全員健在のため…)

 

亡くなった人を

目の前で見るのも初めての経験でした。

 

まだ

実家や祖父母の家には

悲しい思い出

辛い思い出がたくさん残っており

今年の夏は

あんまり帰りたくないなぁ…

という気持ちもありました。

 

そんな中

祖父母の家に行ったのですが

祭壇の前で

伯母にお線香をあげた時に

ふと

伯母の気配を感じました。

 

霊とかそういうのではなく

思い出に残っている伯母の気配を

リアルに思い出した…という感じです。

 

いつもなら

祖父母の家に帰省したら

必ず伯母に会っていたなぁ…と

ぼんやり思い出したら

自然と伯母の気配も思い出したのです。

 

具体的なエピソードの思い出ではなく

側に伯母がいる時に

伯母の笑顔を見て

ふわっと優しい雰囲気に包まれる感じとか

自分が癒される感覚とか

いい匂いがすることとか

息づかいとか

優しい声とか

……

 

そういう

五感を全て使って感じていた

伯母の「気配」が

ふわっと蘇って

目を瞑ると

すぐ側に座って

にこにこしていそうな

そういう感覚になりました。

 

人にはこんなにも明確に

存在する「気配」があるものなんだなぁ…と

少し驚きました。

 

生きているときは

当たり前すぎて

考えることのなかった「気配」に

亡くなって初めて気付くというのも

なんだか面白いな、と。

 

旅行などに行くと

せっかくの綺麗な景色だし

しっかり「目」に焼き付けなきゃ、と

よく思うのですが

案外

「視覚的な記憶」以外の

触覚、臭覚、聴覚や

そのどれでも説明のつかない「気配」が

重要な記憶になるものなんだな、と

興味深く面白く感じました。

 

祖父母の家を離れると

伯母の「気配」の記憶は

少しずつリアリティを失っていくように

感じられたので

多くの時を一緒に過ごした「場所」を通じて

感じる「気配」もあるのかもしれません。

 

とにかく

祖父母の家で感じた

伯母の気配のリアルさに

本当に驚く初盆でした。

 

そして

その気配が

とても優しくて

暖かく

癒される気配だと気付いたときに

生前

自分がどれだけ伯母に愛されていたのか

ということを

改めて実感できたようで嬉しかったですし

亡くなった後に

家族から

こんな風に思い出される生き方をした伯母を

尊敬する気持ちにもなりました。

 

そして…

今は健在の父・母の気配も

しっかりと記憶に残しておこうと

感覚を研ぎ澄まして過ごす

お盆になりました。